大正から昭和の初め頃の輸送手段は馬車によるものが主体でした。
1914年(大正3年)当時、二代目山口軍治の祖母の里が岐阜市金竜町で馬車休憩所兼宿を営んでおり、白鳥・郡上・関・美濃など岐阜郡部からの荷物を馬車、荷車等により岐阜市に運んできた人達はここに立ち寄り馬を休めたり、休憩、宿泊をしていました。 同宿が往来者で賑わい、物資の受け渡しが頻繁に行われるのを見た山口友吉は、同宿にて生活物資の運送取扱いを始め、順次拡大を図っていきました。
1928年(昭和3年)昭和初期には馬車に代わる輸送手段として日本にもトラックが輸入されるようになったため、同氏はこれをいち早く導入、荷物を取扱うだけの運送取扱店にとどまらず、自らもトラックによる荷物の集荷・配達を行うなど、当社の母体となるの中に軍山口運送店をスタートさせました。 会社【岐阜トラック運輸(株)】が設立されたのは昭和13年ですが、陸運統制令や終戦により統合、分離を経て昭和22年3月、初代山口軍治社長のもと資本金18万円、社員67名、車両30台でスタートしました。