キャリアステップ
インタビュー
Career interview 01
中部本部
A.Mさん—取締役
1996年入社
入社〜1年目
新入社員として、当時大阪にあった今里支店配属となりました。
コテコテの大阪弁にもすぐに慣れ、先輩方に可愛がってもらい、入社して半年後、集配・路線配車担当になりました。当時、大切にしていた事は、明るく前向きになんでも取組む、挨拶を含め、会話を大事にする、わからないことは必ず理解するまで教えてもらう事でした。大学までラグビー部に所属していましたので、休日はクラブチームでラグビーを楽しみ、顔面傷だらけで出勤した事も多々ありました。
4年目〜6年目
入社して3年目から西日本営業担当となり、広域営業をする立場になりました。
当時、プリクラが流行っており、大きな仕事を取組みましたが、大きな失敗もしました。その際、同期や、上司から大変な励ましを頂きました。今でも自分自身の不甲斐無さ、悔しさ、そして励ましへの感謝は忘れていません。その後、コンビニ最大手センター向けベンダー集荷業務を立ち上げ、入社6年目で管理者となりました。大きな失敗をした私にチャンスをくれた会社へ感謝し、会社、社会へ貢献できるプロの物流マンになると心に誓いました。
14年目〜21年目
16年大阪配属であった私は営業開発部へ異動となり、地元岐阜へ帰ってきました。
入社して14年、家庭を持つことになり、今まで以上に責任感を持って、家族の為にも仕事を頑張ろうと強く意識しました。翌年、大学卒業以来、16年大阪配属であった私は営業開発部へ異動となり、地元岐阜へ帰ってきました。営業開発部時代は収支を細分化して試算すること、スピード感を持って行動することを意識し、当時の上司から、エスライングループの経営手法を学びました。平日は営業で全国を飛び回り、休日は父として、子供に遊んでもらいました。
22年目〜26年目
名古屋南支店長として、異動になりました。
営業開発部で4年間専任営業をしていましたが、名古屋南支店長として、異動になりました。大阪時代に、大阪南支店長を2年務めましたが、4年ぶりの支店長職であり、非常に緊張していたのを覚えています。同じタイミングで若手次長が配属となりましたので、支店収支を必ず改善する事と、次長を次の支店長に育てる事を強く決意しました。支店メンバーをその気にさせるため、とにかく会話を大事にし、最後は自分が責任を取るつもりで支店運営し、結果を出す事ができました。
26年目〜
名古屋南支店長を2年、名古屋支店長を2年務めた後、現職となりました。
名古屋南支店長を2年、名古屋支店長を2年務めた後、現職となりました。現職は会社役員からの直接的指示のもと、13支店1センターの各責任者へ私なりに咀嚼しながら、やるべき事を指示しています。事を進める時には、厳しい事も言いますが、基本は、明るく前向きにスピード感を持って、基礎となる数字をもとに、いかに改善できるか?現地現物を大切にしています。各支店の特色を活かした支店運営のもと、中部本部全体を1つの会社と考え、収益、粗利益とも拡大したいと考えます。
Career interview 02
川口支店
H.Kさん—乗務員
1997年入社
入社〜3年目
入社後戸田支店へ配属
入社後戸田支店へ配属になり初めての土地なので土地感が無く、先輩方の教えや、板地図と住宅地図を見て一つ一つ配達先、集荷先を回数をこなし、業務に励んだと思います。
3年目〜7年目
後々戸田支店に配属してきた後輩たちに仕事内容を教えたりしていました。
この時期はあまり覚えてないですが、勢いのまま仕事をこなしていたと思います。徐々に範囲を増やし、後々戸田支店に配属してきた後輩たちに仕事内容を教えたりしていました。
戸田支店は雑誌の仕事もあったので、他と違うところがありました。
14年目〜19年目
26歳ごろから戸田支店の外商員リーダーを任されました。
先代リーダーが定年になり、26歳ごろから戸田支店の外商員リーダーを任されました。この時から集荷の配車をする様になったと思います。大型車の免許の資格もこの時期に習得しました。
22年目〜26年目
大型車を使った仕事内容メインになりました。
このころから大型車を使った仕事内容がメインになりました。朝、各支店から到着した新宿行きの荷物を中継会社に横持ちをし、路線ドライバーの時間問題の一貫として路線車で雑誌の集荷をしました。
26年目〜
かねてから志願していた路線乗務員になることが出来ました。
大型車の仕事をこなし、かねてから志願していた路線乗務員になることが出来ました。ここから川口支店のメンバーになり、新しい一歩になりました。とにかく与えられた仕事はなんでもこなそうと必死に取り組んだと思います。他のドライバーとの繋がりや共有もあり、助けや励みになったことは、感謝の気持ちでいっぱいです。今は川口支店乗務員のグループリーダとして勤めています。これからも邁進してまいります。
Career interview 03
海老名支店
T.Hさん—管理職
2005年入社
入社〜4年目
最初の配属先は東京支店でした。
最初の配属先は東京支店でした。入社後すぐに配達(到着)担当として慣れないトラックにも乗り都内や千葉県内の配送を先輩社員に連れられて現場作業を身体で覚えていたと思います。この時期に成功体験などほとんど無く毎日が失敗の連続でした。配達先でプロレスラーに遭遇して威圧を受けたり、当時の上司の替わりにクレームの処理で千葉県の山奥まで謝罪にも行きました。ただ、今となれば上司には本当に恵まれていたのかもしれないと思うようにしています。仕事では厳しく怖かったですがプライベートでは色々と面倒を見てくれていました。東京支店でのトータル4年間は現場オンリーで終了しました。
5年目〜9年目
横浜支店で2年勤務京浜支店で3年勤務しました。
東京支店を経て、横浜支店で2年勤務京浜支店で3年勤務しました。この2支店では現在でもお付き合いさせていただいている上司に大変お世話になりました。この期間は、営業職としてまた海上荷物を扱う特殊な業務など内容も非常に濃く主任に昇格した時期にも当たります。ここでの失敗は数多くありますが、たまたま営業職として大きな数字を獲得できた経験がありました。海上荷物を扱う中で関東の様々な配送を手掛ける案件も獲得できて、中でもゴルフ場への肥料配送、競走馬の遊具配送、青森空港内の凍結防止剤の配送、日本製オムツのロシア向け輸出などこの期間でしか体験できない事を学べました。
10年目〜11年目
柏支店へ転勤となりました。
それから柏支店へ転勤となり、営業と同時に支店全体を見る力を養う事にも目を向けるようになりました。良い事ではありませんがトラックの事故発生時の初動対応などの事故処理やトラブル発生時の謝罪など会社の名前や上司の顔に泥を塗らないように考えて行動し、おそらくこの時に管理職つまり支店長になりたいと目指すように考えていた時期でした。
12年目〜16年目
12年目に戸田支店へ転勤後に支店長に任命していただきました。
12年目に管理職試験の機会をいただいて、戸田支店へ転勤後に支店長に任命していただきました。これまで10年以上延べ4つの大きな支店、小さな支店など経験だけはありましたので多少なりとも自信はありましたが、早々に挫折しそうな程会社の事もそうですが社会の事に対して無知であった事を痛感しました。お客様の前に出れば相手の方は私を支店長として話をされますが、なかなか付いていけずに悔しい思いや恥ずかしい思いをした事が思い出されます。その後、所沢支店へ赴任してここで当社の中での大手荷主様の担当者の方に厳しくも優しく育てられました。この埼玉県内の支店での時間は本当に貴重でした。
17年目〜
今の海老名支店への新築リニューアルオープンの貴重な体験をさせて貰いました。
現在は、厚木支店へ赴任後の今年2023年2月に今の海老名支店への新築リニューアルオープンの貴重な体験をさせて貰いました。これまで2005年に入社後約19年で8つの支店で仕事を行なった事、全ての支店での上司や先輩同僚や部下に本当に恵まれた事が私自身の最も自慢できる事柄です。この19年間で功績はほとんどありませんが過去の転勤に対してNOと言わずに、転勤した結果にも大満足です。昔も今も決して人気がある職種だとは思いませんが、働き続ける事もまた自慢の1つです。新しい支店でもぶれずにしっかりと舵を取ります。
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